DUSSAILY
XAVIER BRUNO
- 誕生日/
- 1982年3月16日 (現在40歳)
- 趣味・特技/
- 映画鑑賞、バイク、仕事
- 出身地/
- ランス ノルマンディー地方 ルーアン
- 対応言語/
- フランス語・日本語日常会話
英語初級
ジャパンゾンの代表になるまで
1982年3月16日 | フランス、ノルマンディー地方のルーアンに、八百屋を営むデュサイ家の次男として誕生。 |
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1987年9月2日 | フランスのテレビ番組Le Club Dorothée (Club Do') クラブドローテの開始により、日本のアニメがフランスで 放送されるように。初めて見たのがドクタースランプアラレちゃんでした。 |
1988年 | 幼少・青年期から、両親の営む八百屋さんで一人前に仕事をこなしていました。 暗算でササっと済ませるお会計はいつもサービス価格で、喜んでくれるお客様が多い中、幼いながらに仕事をこなす彼を小生意気に感じるのか、時々は電卓できちんと計算してほしいと言われることもありましたが、そんな時お客様は決まって、電卓に表示された価格を見て後悔したように、お店を後にするときの丸まった背中をよく覚えています。 アラレちゃん、ドラゴンボールに始まり、世界忍者戦ジライヤ、ハイスクール!奇面組、北斗の拳、セーラームーン、キャンディキャンディなど、学校と、ご両親の手伝い以外の時間はほとんど日本のアニメを見ていたくらい、 勉強もそっちのけで熱中しました。 |
1998年 | 両親の営む八百屋さんで両親を支えるため、16歳で高校を中退 |
2006年10月 | 24歳の時、はじめて日本を旅行。 友人と訪れた東京で、想像していた以上の日本アニメーションの止まることを知らない目まぐるしい世界観に改めて感銘を受けます。そして、謙虚で礼儀正しい日本人の優しさにも触れ、また日本に来ることを心に誓いました。 |
2007年3月 | 仕事を調整してとれた休暇で、プレーステーション3の発売を言い訳に、興奮しながらの再来日。 東京の端から端まで探索し、街をみて、日本料理を楽しみました。日本人の中に溶け込んでいるようで、最高の気分でした。とんかつ、かつ丼、しゃぶしゃぶ、お好み焼き、カレー、そしてなんと言ってもお寿司。 これらの料理は今でも毎日のように食べています。 |
2009年3月〜 2010年2月 |
27歳の時、ワーキングホリディビザで再来日。 仕事をしながら日本語を勉強し、日本で生きていく道を開くために没頭するように日々を過ごしました。 フランスレストランLe Petit Tonneauでウェイターを3か月間、フランス料理店Olivierでチーフクラークとして4ヶ月、それから東京のフランス・ジャパニーズ・インスティテュート・カフェ・ブラッセリーの従業員として2ヶ月間働きました。その間に、最初の妻となる日本人の女性と出会い、日本とフランスの文化、習慣や伝統、さらにはヒエラルキーの違いを、数多く発見しました。中でも、日本人の年長者を敬う精神の強さは衝撃的でした。 |
2010年3月23日〜 2010年6月21日 |
帰国のための身辺整理で再来日。 日本文化への興味と興奮が冷めず、東京以外の都市や島々をみてみたいと思い、食材豊かな北海道やお米のおいしい新潟県にも訪れました。広島県を訪問した際に、かつて壮絶な悲劇を経験したはずの人々から、 とても温かいおもてなしを受けて、改めて日本人の人情味に心が震えました。 |
2011年2月18日〜 2011年4月8日 |
結婚準備のため、再来日。 |
2011年3月11日〜 | 福島県を地震と津波が襲いました。もはや日本は第二の故郷も同然でしたので、被災者や関係者を思い、 日本へ留まることにしました。そしてこの美しい国とその住民の心の強さと思いやりに驚かされました。 |
2014年10月24日 | 学生ビザを取得して再来日。 日出ずる国日本で暮らすため、またこの国の素晴らしいアニメーション技術や精巧なおもちゃを祖国の友人にも 紹介したいと思い、キャリアアップの為日本語をもう一度勉強することにしました。 |
2014年12月15日 | 個人事業主として開業届を提出、ジャパンゾンの先駆けとなるECサイトを開設。 |
2019年6月3日 | 株式会社ジャパンゾン 設立 |
2020年2月17日 | はじめての従業員を雇用開始 |
2021年3月11日 | 古物商許可証取得 |
2021年12月3日 | ジャパンゾン浅草店をオレンジ通りにグランドオープン |
2022年10月 | ホームページサイト( japanzon.jp ) |